小説 『こころの座標』 (15) 第6章―⑤

小説『こころの座標』(15)第六章 観照の彼岸

(5)観照の彼岸 ―― 時間と空間の融解

 太陽が高く昇ると、木々の影は縮まり、地面に淡い光の網を編み始めた。風は静かに吹き、葉の一枚一枚がまるで呼吸するように、わずかに震えていた。

 空海とデカルトは、深い杉林を抜けた先の岩場に辿り着いていた。そこは谷を見下ろす断崖の縁であり、遠くに水音が響いていた。

「ここは、“時”が止まる場所です」

 空海の声は、風の音に溶けるように柔らかかった。

「止まる……? 時間が?」

「いえ、“止める”のではありません。“融ける”のです。時間は直線ではなく、感じられ方なのです。観照の深まりに従って、時間も空間もその性質を変えていきます」

 デカルトは、眼下に広がる谷を見つめた。木々のざわめき、水の流れ、鳥の旋回。すべてが動いている。だが、そのすべてが“静止しているように感じられる”不思議な錯覚があった。

「今……私は、すべてが“いま・ここ”に収斂しゅうそくしているように感じます。過去も未来もない。ただ、“在る”ということだけが、確かなのです」

「それが“観照の彼岸”です」

 空海はそう言って、両手を天へ向けて広げた。

「私たちは通常、“時間”という流れのなかで思考し、“空間”という区切りのなかで存在します。けれど、観照が極まると、その流れも区切りも意味を持たなくなる。ただ“永遠の今”が、すべてを包み込むのです」

「永遠の……今」

 デカルトはその言葉をゆっくりと繰り返した。

「それは、私の哲学の最終の問いでもありました。“永遠”とは何か。“今”とはどこにあるのか。だがあなたの言葉は、その問いを打ち消すように、問いの外側から語りかけてくる」

「問いが消えるとき、存在は初めて“そのまま”に現れます。理性の問いは、“まだ答えられていない何か”を追いかけます。しかし観照は、“すでに在るもの”に耳を澄ませる行為です」

 そして空海は、岩の上に坐った。足を組み、掌を天に向け、静かに目を閉じた。

「時間が融けるというのは、現在が永遠になることではありません。現在が、“もはや時間ではない何か”になるのです」

 デカルトもまた、その隣に坐した。

 風がふたりのあいだを吹き抜けたとき、世界は、わずかに形を変えたように見えた。

 静かだった。

 風が吹いていたはずなのに、それすらも彼の意識には届かなくなっていた。すべてが、まるで水のなかにあるように、輪郭を失っていた。だが、そこには不安も恐れもなかった。ただ、深く、透明な静けさがあった。

「空海……」

 デカルトはゆっくりと口を開いた。

「私は今、時間が消えていくのを感じています。過去も未来も、いまという点に吸い込まれ、同時に滲んでいくような……そんな奇妙な感覚です」

「それは、あなたの意識が“形”という制約から解き放たれ始めた証です」

 空海は目を閉じたまま、静かに語った。

「仏教では“法界”という言葉があります。法界とは、時間と空間が溶け合い、区別のない全体としての世界です。そこでは、自己と他者、始まりと終わり、前後や上下といったすべての境界が消えていきます」

「私は今、自分の体がどこにあるのか、すらわからない。だが、私は確かに“ここ”に在る。むしろ、私は“ここでしかない”のかもしれない」

「その“ここ”とは、物理的な場所ではありません。“在ること”そのものが、“ここ”なのです。そしてその在り方が、観照の果てにある“彼岸”なのです」

 デカルトは目を閉じた。

 その瞬間、彼の中に一つの情景が浮かび上がった。

 それは、自分が水のなかに漂っているような感覚だった。上も下もなく、始まりも終わりもない。ただ、自分という意識だけが、ゆるやかに光とともに浮遊していた。

 光は動かず、しかし全方位から届いていた。

 そのなかで、彼は“言葉をもたない理解”を得た。

 ――時間は流れではなく、在り方である。

 ――空間は距離ではなく、響きである。

 ――“私”は、固定された存在ではなく、全体のなかに開かれた“気配”である。

 意識が戻ったとき、空は高く晴れわたっていた。風がまた吹き始め、木々がざわめきを取り戻していた。

 空海は微笑をたたえながら、立ち上がった。

「観照の彼岸に触れた今、あなたの中の“見る者”は、世界のなかに溶け込んだでしょう。もはや見ることは、対象を捉えるのではなく、世界と共鳴する行為です」

「……私は、初めて、世界と“ひとつ”になれた気がします」

「それが、霊性の最初の完成です。そして、そこから新たな“生”が始まるのです」

 谷を流れる水音が、より深く耳に響いていた。
 それは“音”というより、世界そのものの脈動のように思えた。

 デカルトはゆっくりと、目を閉じた。

 そこには、時間も空間もなかった。
 ただ、“在る”という光だけが、すべてを照らしていた。

つづく…

 

【次回予告】第六章 ー⑥ ――「私たちの彼岸 ―― 観照と共感の共鳴」

すべてが溶け合い、静まりかえった観照の世界。
そこでふたりは、何も語らず、何も問わず、
ただ“在る”ことの確かさに身をゆだねます。
空海の祈りと、デカルトの理性。
ふたつの道が、はじめて一点に重なったとき、
世界は、ほんのかすかな震えとともに――
新しい座標を描きはじめます。
沈黙の旅の終わりに見えたものとは何か。
そして、ふたりが辿りついた“本当の出発点”とは。

次回、内なる地図がそっと描かれ、物語は曼荼羅の扉へと向かいます。

第六章 ー⑥ ――「私たちの彼岸 ―― 観照と共感の共鳴」
025年08月30日(土) 21:00 公開

 

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お寺の住職をしております。 昨今よく耳にするのは、先祖代々の宗派がわからない、菩提寺が地方にあるため何年も供養をしたことが無い等でお困りの方が多くいらっしゃいます。 ご法事・供養でお悩みの方、水子供養・お祓いなどお気軽にお寺にご相談下さい。