【長編連載小説】 『こころの座標』 (20) 第7章 縁起の迷宮—④
曼荼羅の奥へと足を踏み入れた瞬間、デカルトの視界は不思議な揺らぎに包まれた。
壁に掛けられたはずの平面図は、もはや「絵」としての輪郭を失い、奥行きをもった回廊へと変容していく。
朱と群青が絡み合い、金と緑が波打ちながら道を形づくる。
迷宮は静かに彼を呑み込み、歩むごとに新しい通路が生成され、後方を振り返れば、先ほど通ったはずの道がすでに形を変えていた。
曼荼羅の奥へと足を踏み入れた瞬間、デカルトの視界は不思議な揺らぎに包まれた。
壁に掛けられたはずの平面図は、もはや「絵」としての輪郭を失い、奥行きをもった回廊へと変容していく。
朱と群青が絡み合い、金と緑が波打ちながら道を形づくる。
迷宮は静かに彼を呑み込み、歩むごとに新しい通路が生成され、後方を振り返れば、先ほど通ったはずの道がすでに形を変えていた。
(3)色即是空の構造
曼荼羅の前に立ったデカルトの眼差しは、依然として中心を探していた。
だがその中心は、近づこうとするたびに揺らぎ、遠ざかるたびに浮かび上がる。
まるで、数式の答えを導き出そうとするほど、問いが次々と増殖していくようだった。
山の上に、風のない夜が降りていた。
星はうすく、月は刃のように細い。
黒い樹々の縁が空を切り取り、石段の上に薄い霜の気配を置いてゆく。
二人はその石段を登りきり、門の前に立った。
門は漆黒で、四隅を金具が固めている。円文と蓮が彫られ、古い呼吸を続けているように見えた。手を触れれば、冷たさの奥にかすかな温もりが宿っているのが分かる。
幾度となく開き、幾度となく閉じ、数え切れぬ問いがここをくぐったのだろう。
空海が小さく合掌し、瞑目する。
足を踏み出した先で、床板の響きが変わった。低く長い、洞窟の奥へ吸い込まれていくような音。
視界の奥、曼荼羅の色面がわずかに膨らみ、遠近の感覚が反転する。平面に見えたものが、からだの内側へと沈んでいく階段に変わり、逆に自分の背後の空間は、薄い紙のように平坦になっていく。
「怖れることはありません」
空海の声が、一定の間まを保ちながら届く。
「いまあなたが経験しているのは、視覚の秩序ではなく、関係の秩序です」
山の奥深く、木々の葉が秋色に染まりかけた頃、朝の霧がゆっくりと谷間を下りていく。 その霧の中を、デカルトと空海は並んで歩いていた。足元の石段は苔むし、しっとりと湿り気を帯びている。踏みしめるたびに、静な音が霧の奥に吸い込まれていった。
やがて石段が終わり、視界の先に重厚な木の扉が現れた。扉は漆黒に塗られ、金色の金具が四隅を飾っている。そこに描かれた円文と蓮の花は、時を経てもなお鮮やかで、まるで深い呼吸をしているかのように見えた。
「ここが曼荼羅の門です」 空海はそう言って立ち止まり、両の掌を静かに合わせた。