(6)私たちの彼岸 ―― 観照と共感の共鳴
谷に射し込む夕陽が、ふたりの影を長く伸ばしていた。
観照の彼岸に触れたデカルトは、まだ言葉にできぬまま、胸に静かな震えを抱いていた。
「空海……私は、あの体験で時間も空間も失いました。
しかし今、こうしてあなたと歩くと、私の“私”が戻ってきたようにも感じるのです」
空海は足を止め、優しく頷いた。
「それで良いのです。観照は自己を消すためだけのものではありません。
自己を他者と、世界と、そして無限の響きと再び結び直すためにあります。
それは“共感”と呼べるでしょう」
ふたりは夕陽の下、谷を見下ろす岩に腰を下ろした。
鳥が帰巣し、川のせせらぎが遠くで響いていた。
「共……感……」
「はい。観照の果てに、私たちは個を越え、他者の痛みも喜びも、
すべてを自分のものとして感じ始めます。
それは理性の同情ではなく、存在そのものの共鳴です。
あなたが彼岸で感じた“在る”という光は、あなたのためだけではなく、
世界のすべてを包む光でもあるのです」
夕陽の光が徐々に柔らぎ、空は赤から紫へと移り変わっていた。
谷間には微かな風が吹き、草木の香りが漂ってくる。
デカルトは深く息を吐いた。
「私は、長い間、理性によって世界を切り分け、
自分と他者、主観と客観、正しさと誤りを峻別してきました。
だが、いまはその境界が溶け、あなたの声も、風の音も、
すべてが一つの響きに重なって聞こえるのです」
空海は穏やかな笑みを浮かべた。
「それが“共感”の始まりです。
観照が深まると、私とあなたを分ける線が消え、
他者の存在が、自分の存在そのものとして感じられるようになります。
だからこそ、仏教では“慈悲”が自然と湧き起こるのです」
「慈悲……」
「はい。誰かを助けたい、癒やしたい、共に在りたいという思いは、
道徳的な義務からではなく、
同じ響きに共鳴しているがゆえに起こるのです。
私が痛みを覚えれば、あなたも痛みを覚える。
私が歓びを感じれば、あなたも歓びを感じる。
その共鳴のなかに、救いが生まれます」
デカルトは目を閉じ、耳を澄ませた。
風が木々を渡り、遠くの川のせせらぎと重なり、
空海の声と一体になって響いている。
彼は、ふと気づいた。
それらの音が、もはや“外の音”ではなかった。
彼自身の鼓動、呼吸、思考と同じリズムで、
すべてがひとつの生命として脈打っていた。
「……私は、世界の中に消えてしまったのではなく、
世界そのものになったような気がします」
「その感覚こそが“私たちの彼岸”です。
観照は自己を滅するのではなく、
自己を無限に開くことなのです。
私だけのための悟りは存在しません。
悟りとは、世界が共に目覚めることです」
夕陽が最後の光を放ち、
山々が柔らかな闇に包まれていった。
ふたりはしばらく、何も言わずにその景色を見つめていた。
沈黙の中で、デカルトははっきりと感じた。
――この沈黙は孤独ではない。
それは、すべての存在と繋がるための沈黙だった。
「空海……」
「はい」
「私はようやく、“我思う、ゆえに我あり”の外へ出られた気がします。
そして今、“我在る、ゆえにすべて在る”と感じています」
空海はゆっくりと頷き、
夕闇の中で数珠を一回り繰った。
「それで良いのです。
理性が導いた先に、霊性が開かれる。
霊性が深まると、再び理性が澄んでゆく。
その円環のなかで、世界は新しく息づくのです」
夜の帳が降り、無数の星が空に瞬き始めた。
ふたりは立ち上がり、谷を背にして歩き出した。
闇の中でさえ、世界は確かな光を帯びていた。
観照がもたらす共感と慈悲が、
彼らの歩みを静かに照らしていた。
つづく…
【次回予告】『こころの座標』(17)
第七章(1)曼荼羅への歩み「曼荼羅の門(前編)」
深い観照の果て、ふたりがたどり着いたのは、
光の波とともにゆらめく、名もなき門。
空には輪郭を失った星々が瞬き、
足もとには、夢のように漂う幾何の光。
それは、時を越えて結ばれた魂たちの残響だった。
空海は、その門を「曼荼羅」と呼び、
いのちといのちが紡ぐ、見えない縁の地図を語る。
デカルトは息をのむ。
理性では届かぬはずの風景が、なぜか懐かしく胸に沁みる。
――響きあう世界の入口へ。
言葉の届かぬ場所で、ふたりは新たな“座標”と出会う。
次回、『こころの座標』(17)
曼荼羅への歩み「曼荼羅の門」(前編)…ご期待下さい!
2025年08月31日(日) 21:00 公開
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