【長編連載小説】 『こころの座標』(25) 第8章 世界の座標 言葉を超える交差点ー②

【長編連載小説】 『こころの座標』(25) 第8章 世界の座標 言葉を超える交差点ー②

読了時間 約10分〜14分

(2)言葉を超える交差点

 山を下りて三つ目の小橋を渡ったあたりから、二人はほとんど言葉を交わさなくなった。理由は簡単だった。谷の風のほうが雄弁だったからだ。
 麦の刈り跡が並ぶ畑を撫でる風は、土の匂いと、どこか焦げた藁の微かな残り香を運ぶ。遠くの鍛冶場からは鉄を打つ重い響き。
 さらにその奥で、牛を追う掛け声、子どもの笑い声、井戸の滑車がこすれる乾いた音。音が重なっては解け、解けてはふたたび重なる。
 デカルトは、耳が勝手に音の層をほどいていくのを感じながら、同時にほどききれない残響があることにも気づいていた。
ほどけないもの──それは、かつて彼が扱いに困り、見ないふりをしてきた領域だった。

 川沿いの柳が風に震え、その下を浅瀬が滑っていく。小魚が群れになって石の陰へ寄り、きらりと反転して散った。

「空海」
 デカルトはようやく声を出した。声は、いつもより一段低く落ち着いていた。
「私は、言葉の明るさに長く頼ってきました。だが今は、言葉が強い光を放つほど、手前の細い影が見えなくなるようにも感じる。影は、たしかにそこにあるのに、明るすぎるがゆえに見えなくなる……そんな逆説です」

 空海は、柳の下に敷かれた丸石に腰を下ろした。衣の裾が石の冷たさを吸い、端からわずかに湿りを帯びる。

「光が強ければ影も濃くなる。影が濃ければ輪郭はくっきりする。輪郭が立てば“もの”は分けられる。あなたの言葉は分ける力でした。分けて、気づき、たどり着く。
 しかし、世界は分けるだけでは尽くせない。分けられた輪郭のあいだに、見えない橋がかかっている。その橋を渡るとき、言葉の明るさは、一旦、沈黙の影を必要とするのです」

 川は、同じ場所に留まらない水をたやさず供給し続ける。それを確かめるように、空海は掌を水に差し、指の間から滑り落ちる冷たさを一筋ずつ味わった。

「言葉は形を与える器。沈黙は器に水を満たす暗がり。
 器だけでは、乾いた輪郭しかない。水だけでは、曖昧に流れ去る。
 交差点とは、器と水が“ちょうどよく出会う地点”のことです」

 デカルトは頷いた。頷きながら、返す語を急がなかった。
 彼は昔、応答の速さを自分の矜持としていた。矛盾を突く鋭さ、定義を洗う俊敏さ、証明に至る最短路。
 だが今は、速さそのものが場を痩せさせることがあると知っている。速さは時に、沈黙が運んでくる微細な物語を振り落としてしまうのだ。

「“ちょうどよさ”」と彼はゆっくり繰り返す。
「理性にとって一番難しい徳目です。私は最短で中心へ行こうとする。中心へ着けば、あとは周囲を再建できると信じてきた。だが曼荼羅は、それ自体が“中心なき中心”であり、周縁が同時に中核でした。
 言葉にも周縁がある。沈黙という周縁。私は、その縁の触れ方を学び直さねばならない」

 風が柳の葉裏を返し、川面に白い鱗のようなさざめきを走らせる。
 小さな渡り鳥が二羽、低く飛んできて、手前の中州に降りた。砂に刻まれる足跡は、ほんの一瞬で水に舐められ、輪郭を失う。
 デカルトはその消え際に目を留め、言った。
「消えるものは、無ではない。消え際こそ、世界が私に触れる縁だ。
 私は『我思う、ゆえに我あり』を言葉の原点として立てた。
 けれど今は、『我聴く、ゆえに我あり』とも言ってみたい。
 聴くことは、世界の“消え際”に触れる術ですから」

 空海は目を細めた。
「良い転調です。
 “思う”とは輪郭を起こす。
 “聴く”とは余白を受ける。
 輪郭と余白が重なったところに、理解が降りる。
 理解は、情報の収集ではない。理解は、出会いの仕方です」

 そのとき、寺の方角から、鐘の音が一度、遅れて一度、空気を押し広げるように届いた。
 デカルトは音の打点ではなく、余韻の流れを意識して耳を澄ます。
 音は、谷の曲面を撫でて柔らかく変調し、やがて自分の胸の真ん中へ滑り込んでくる。
 こんな風に音を聴いたことが、彼には一度もなかった。
 今までの彼は、音を時刻として測っていた。今は、音を呼吸として受けている。

「言葉は、いつ、どこで、誰が、何を、どうした、と並べ替える力を持ちます」
 空海は石の苔を親指で軽くさすった。
「しかし、いつといつの“あいだ”、どことどこの“あいだ”、誰と世界の“あいだ”──そこにある『間(ま)』を受け止めるのは、沈黙の技です。
 あなたは今、鐘の“間”を聴いた。
 “間”を聴く耳が育つと、言葉はより澄みます。
 沈黙に根を下ろさない言葉は、風に煽られて折れてしまう」

 デカルトは、自分の中の古い衝動が、かすかな照れとともに顔を出すのを感じた。
 ──定義したい、概念図で包みたい。
 彼はそれを正直に口にする。
「私はすぐ図解したくなる。『言葉=光』『沈黙=水』『理解=その交差点』とでも書きたくなる。
 しかし図は、交差点を“場所”にしてしまいがちですね。
 本当は“ふるまい”であるのに……」

「図もまた、ふるまいに従わせればよいのです」
 空海は否定しない。むしろ肯定の調子を濃くした。
「地図を捨てよ、と言うために私はあなたと歩いているのではない。
 歩くあなたに、使える地図の描き方を一緒に探している。
 “歩きながら描き、描きながら捨て、捨てながらまた描く”。
 その循環が保てるなら、図はあなたを縛らない」

 川べりに洗濯板を置いた女が、布をたたいている。
 ぱしん、ぱしん、と乾いた音。
 幼い子が隣で石を水に投げて、輪を広げる。
 輪は重なり、岸へ届く頃には、もう輪ではなく、ただの水の揺らぎだった。

 デカルトは、輪のほどけ方を目で追いながら、言った。
「言葉は、こういう輪を、止めてしまう。
 “これは輪だ”と名づけた途端、輪のほどけ方が止まって見える。
 だが実際には、ほどけ、渡り、混ざり、消え、その消え跡が次の形の起点になる。
 名づけは必要だ。だが名づけを“終わり”にしないこと──。
 それが、私にとって新しい戒めになりそうです」

 空は少し裂け、光が斜めに降りて川面の一筋を強く照らした。
 光の帯が流れとともに上流へ遡るように見える錯視に、デカルトは小さく笑う。
「私は錯視を嫌ってきた。誤りの兆候だと思っていた。
 今は、錯視もまた“見え方のふるまい”だと受け止められる。
 世界は、こちらの角度に応じて多義に振る舞う。
 単数の真理だけを求めると、世界の多声が聞こえなくなる」

「単数の真理は、静かな仮宿です」
 空海の声は、遠い太鼓のように落ち着いている。
「夜、疲れたとき、身を横たえる場所は必要です。
 しかし夜が明ければ、また道に出る。
 真理の宿は、出立のためにある。そこに住みつかない。
 あなたの言葉も、宿から道へ人を送り出す“合図”であればよいのです」

 沈黙が、ふたたび二人を包んだ。
 その沈黙は、以前のような気まずさや、議論の切れ目としての空白ではない。
 沈黙は、言葉の根の湿りであり、呼吸の深部であり、互いに相手の思考が育つのを見守る庭のようだった。
 彼らは、その庭に立ち尽くし、耳を澄ます。
 耳を澄ましながら、彼らの内側では、ゆっくりと、同じ温度の水が満ちていく。

「空海」 デカルトが再び口を開く。
「私は、これから“説明”の回数を減らすかもしれません。
 ですが、説明をやめるのではない。回数を減らし、そのかわり“いま、ここ”で相手と同じものを一緒に見る時間を増やしたい。
 説明は、互いに同じものを見ていないときの橋です。
 同じものを見られるなら、橋は短くて済む」

「それは、言葉の成熟です」
 空海は頷き、柳の葉先についた水滴を指で払った。
「言葉は、相手の視界に生える“補助の芽”です。
 芽は、土が違えば育ちも違う。
 あなたが見る土と、相手の土が違うと知ってから植える言葉は、やさしい」

 小道の先で、老犬が日向に丸くなっている。鼻先を前脚にのせ、片目を細める。その向こうで、若い夫婦が薪を割り、幼子が薪の皮をはがして遊んでいる。
 デカルトは、人の暮らしの“音”を一つずつ拾い、胸の中の座標に点を打っていく。
 点は、言葉で固定される前に、まず音として置かれる。音が連なり、旋律になるとき、はじめて語の順序も整う。
 語は旋律の写しだ。
 旋律を聴かずに語を並べると、文章は進むが、理解は置いていかれる。

「私は、理性が嫌ってきた曖昧を、少しだけ好きになれそうです」
 デカルトは、照れくさそうに笑う。
「曖昧は怠慢だと思っていた。ですが今は、曖昧が“出会いの余白”だと知りました。
 ぴたりと合わないからこそ、歩み寄る。その往復のなかに、理解が降りてくる」

 空海は、足元の小石をひとつ拾い、掌に載せて差し出した。
 白と灰のまだら模様。片面は川が磨き、もう片面は苔が柔らかく覆っている。
「この石に、いま、名前をつけてみなさい」

「……“交差石”と呼びたい」

「では、交差石を、どこへ置きますか」

「この川辺の、柳の影が落ちる場所に」

「理由は?」

「石が“交差”を思い出すには、光と影の両方が必要だからです」

 空海は満足げに微笑み、石をそっと地面に戻した。
「名前は、場に触れて初めて“よく響く”。
 あなたは今、名ではなく、名と場の交差を選んだ」

 午後の光が少し丸くなって、谷の温度が下がる。
 風が止み、遠音ばかりが際立ってくる。
 デカルトは、胸の内の言葉を、わざと一つ置き去りにしてみた。
 置き去りになった言葉は、足を止め、こちらを振り返る。
 呼び戻さずに、ただ手を振る。
 言葉はそのまま川下へ歩き、やがて見えなくなった。
 不思議と寂しくはなかった。
 必要なら、別の言葉が、別のタイミングで、上流からこちらに来るだろう。
 それが今の彼の確信だった。

「ねえ、空海」
 彼は最後に、もうひとつ大切な問いを差し出した。
「人は、いつ“黙るべきか”を、どうやって知るのでしょう。
 私はこれまで、沈黙を相手に譲るための“後退”としてしか理解してこなかった。
 今は、沈黙が前進である場合もあると感じる。
 けれど……その見極めは、なお難しい」

 空海は、しばし目を閉じた。
 風の有無を確かめるように、鼻孔をわずかにひらき、息の出入りを調える。
「三つの印が、沈黙の“前進”を示します」
 ゆっくりと、指を折って数える。
「ひとつ。あなたの言葉が相手の胸で“芽”になっている気配を感じたとき。芽は、土の静けさを求める。
 ふたつ。あなた自身の胸に、まだ名づけ得ない“熱”が残っているとき。熱は、語るより、温めるほうが育つ。
 みっつ。場そのものが、別の音を呼んでいるとき。鐘の余韻や、川の律動が、言葉の列をほどき始める。
 その三つが重なったら、沈黙は後退ではなく“譲位”になります。
 言葉の座を、沈黙に譲る。
 譲られた沈黙は、あなたの言葉を、少し遅れて、より遠くへ運びます」

 デカルトは、胸の奥がするりと軽くなるのを覚えた。
 譲位──その言い方が、彼にはしっくり来た。
 やめるのではない、手放すのでもない。
 座を譲る。
 座は座のまま残り、次の語が、次の沈黙が、その都度ふさわしい仕方でそこに坐る。
「座標」とは、まさにその座の働きにほかならない。

 夕餉の支度の匂いが、風に混じって漂いはじめた。煮えた豆の甘さ、炭の匂い、焼いた魚の脂の音。
 遠くで犬が一度吠え、誰かが笑った。笑い声は、川の音と混ざって角を落とし、柔らかな波紋になって消える。

 デカルトは、空海のほうへ身体を向け、深く礼をした。
「私は、言葉を捨てません。けれど、言葉の座を知りました。そして、沈黙の座も」

「それで十分です」
 空海は立ち上がり、衣の裾を払った。
「交差点は、いつもあなたの胸の高さに現れます。
 外の音を聴き、内の息を聴き、相手の沈黙を聴く。
 その三つが揃うたび、座標は新しく印される」

 二人は川べりの小径から、村の道へ戻っていった。
 石垣には冬の陽だまりが溜まり、猫が背を丸めて目を細めている。
 ひさしの下で干される大根が白く光り、ほどけかけた縄が風に揺れる。
 デカルトは、過剰に語りたい衝動が、今日は一度も自分を急かさなかったことに気づいた。
 それは、勝利ではなく、調和だった。勝ったのでも、負けたのでもない。
 ただ、うまく交差できた。
 その手応えが、彼の歩幅を自然に整えていた。

 角を曲がると、小さな祠があった。
 祠の前に立つ老女が二人、ことことと湯を沸かして茶を淹れている。
 空海が軽く頭を下げ、デカルトも倣う。
 一杯の茶が供され、湯気が冬空に細い線を描いた。
 茶は熱く、渋みの奥に甘さが潜む。
 口に含むと、言葉が自然に減る。
 減った言葉の代わりに、頬の内側が、舌の縁が、喉の道が、はっきりと自己を主張する。
 身体が語り、心が聴く。
 短い盃の間に、彼は今日もっとも確かな“理解”を得た気がした。

 夕暮れ。空は、淡い藍と、茜の切片と、灰のグラデーションで溶け合っていく。
 道端の灯りが順にともり、窓辺の影が動く。
 デカルトは、そっと胸に手を当てた。
 心臓が打っている。
 ──これは、生のドラム。
 言葉の前にあるリズム。
 このリズムに合わせて語り、このリズムに合わせて黙る。
 それだけで、世界との交差は、今日よりも確かになる。

 丘の端を回り込むと、港へ下る道の入口に差しかかった。
 潮の匂いが、かすかに鼻を刺す。

 空海が、顎で海の方角を示す。
「行きましょう。水の都合を、もう一段、聴きに」

「ええ」
 デカルトは、迷いなく返した。
 言葉は、今夜はもう、余計な飾りをつけない。短く、必要なだけでよい。
 沈黙が、彼らの背でやわらかく揺れ、その揺れに合わせて、足取りが自然とそろった。

 彼らは、灯り始めた街の細道を、海の方へと降りていった。
 足音が石畳で軽く反響し、遠くの波音と重なって、どこかで聴いた祈りのリフレインに変わる。
 交差点はつねに、彼らの胸の高さで、見えない光を交わらせていた。
 言葉と沈黙、光と水、聴きと語り。
 その度ごとに、世界の座標が、静かに、しかし確かに、更新されていく。

 

つづく…

 

【次回予告】

世界を見つめるまなざしの奥で、ふたりは、見ているはずのその風景が、どこか、自分自身に似ていることにふと気づく。風の揺らぎに、心のさざめきを映し、空のひろがりに、思索の果てを重ねる。

空海は、世界とは“関係”のかたちであり、自己とは“映し”にすぎないと語る。

デカルトは、鏡に映る像のように、自己と世界が互いに反射しあっている構造に、思索の光を注ぎはじめる。

それは、自己が孤立した点ではなく、世界という網目の中に位置づけられた、“ひとつの座標”であるという感覚。

次回、鏡の向こうに見えたのは、自己と世界がひとつに溶けあう風景。
思考と観照が交錯する、その静かな転位をどうぞお聴きください。

【長編連載小説】 『こころの座標』 (26)第8章 世界の座標 (3)自己と世界の鏡像—3⃣
2025年11月 1日 21:00 公開

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