【長編連載小説】 『こころの座標 外伝:失われた時間の旅』 (10) 第2章 慈悲の成就をめぐる問答—③
霧がいったん晴れ、山の輪郭がぼんやりと浮かび上がった。 風が一筋、梢を揺らす。葉の音が波のように連なり、やがて再び静まり返った。 空海は深く息を吸った。肺に満ちる空気が、どこか甘い香を含んでいた。沈香のようであり、遠い記憶の匂いのようでもあった。
弥勒はなお、その場に立っていた。 光を孕んだ身体は輪郭を持たず、見ているうちに形を変える。 ある瞬間には人の姿に見え、次の瞬間にはただの光の柱に見えた。 だがその“在り方”は一貫していた――揺らぎの中にある完全。
空海は、その光景を前にして、胸の奥に生まれた言葉を押さえきれなかった。
「未来仏よ。あなたの教えを聞いて、私は知りました。慈悲は未来に咲く花ではなく、今この時にも根づいていると。







