祐源です…
久しぶりのブログ更新です (^^ゞ
突然ですが、お盆真っ最中ですね♪
お墓参りですが、午前7時で10㎞の渋滞だそうです。
お檀家さんとの待ち合わせもこの炎天下ですと大変です。
お盆の事を盂蘭盆とも言い、耳にした事があると思います。
盂蘭盆はウランバーナと言う言葉で、餓鬼霊の苦しみを表したものです。
むかしむかし…
お釈迦様の十大弟子の一人に、とても強い神通力を持った目連尊者がおりました。
ある日、目連は亡くなった母親の事が気になり、神通力で探しました。
亡くなった母親は、息子の目連にとってはとても優しい人でした!
目連は何日も何日も天上界を探し回りました。
でも、母は見つかりません。
ある日、目連はお釈迦様に尋ねました。
「お釈迦様、どんなに母を探しても何処に
も母を見つけることが出来ないんです。母は何処にいるのでしょうか?」
すると、お釈迦様は…
「目連よ、お前の母は確かに優しい母であったであろうが実際は他人にはとても冷たく、食べ物を分け与えようとはしなかったのだ。
他の世界を探して見るがよい!」
目連は、お釈迦様に言われたように修羅道を探し畜生道を探しましたが何処にもいません。
まさかと思いましたが、地獄道も探しました。隅から隅まで探しましたが居ませんでした。
最後に残ったのは餓鬼道です。
そこに居ない事を祈りつつも餓鬼道の世界を見ていきます。
何んということでしょう、目連の母は餓鬼道に堕ちていたのです。
全身骨と皮となりやせ衰え、見るからに哀れな姿となっていました。
確かに息子の目連には優しかった母も、他人に対しては思いやりや施す心が無く気持ちの希薄な冷たい人でした。
その因果で三悪道(地獄・餓鬼・畜生)の餓鬼界に堕ちてしまったのです。
餓鬼道に堕ちると、いつも喉が渇き空腹であっても辺りには食物はありません。
目連はいたたまれず、食べ物を差し出しました。飢えた母親が喜んで口に運ぼうとすると、ボッと音をたて燃えてしまい食べることができません。
神通力の強い目連であっても、母の苦しみを救うことは出来ませんでした。
なんとか母を救おうと、目連はお釈迦様に教えを請いました。
お釈迦様は次のように説かれました。
当時のインドは、雨期には道が川のようになり、僧侶は布教活動や托鉢が出来ません。お寺に篭もり安居という修行をしていました。
その修行を終えるのが旧暦8月15日(8月中旬頃)その日に、修行を終えて清浄になった僧侶に百味の飲食を供養しなさいとお釈迦様は目連に言いました。
お釈迦様の言われる通りに供養をすると、微笑みを浮かべながら天上界へ昇って行く母の姿を目連は神通力で見ることが出来たそうです。
これが盂蘭盆の法要の始まりです。
目連のおかあさん…
救われて良かったですね
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