小説 『心の座標』(6)第3章―②

その晩、二人は山の庵に宿をとった。窓の外では虫の声が響き、山の夜気がしっとりと肌を包む。囲炉裏の火が赤く揺れ、空海は湯を沸かしながら言った。
「理性で世界を捉えようとすればするほど、“感じる”ことは後回しにされがちです。しかし、私は“感じること”のほうが、ずっと先にあるように思えてなりません」
デカルトはうなずいた。「私も、今ここに至るまでに、多くの“感じていたのに忘れていたこと”を思い出してきました。とくに、“内なる身体”の声に耳をすますということ……それは私にとって未知の道です」
「では、少し体験してみませんか?」
空海はそっと正座をし、目を閉じた。彼の姿勢には力みがなく、一切の揺らぎすらなかった。まるで、その場そのものが、彼の身体によって保たれているかのようだった。「目を閉じて、呼吸に意識を置いてみてください。無理に何かを考えようとせず、ただ息を感じるのです。胸が膨らみ、縮んでいく。その運動を、ただ感じる」

小説 『心の座標』(5)第3章―①

小川のせせらぎが、山の静寂に染み入るように響いていた。空海とデカルトは、その細流に沿ってゆっくりと歩いていた。木々は高くそびえ、葉のすき間から光が斜めに差し込み、水面を煌めかせている。
「この流れる水を“わたし”と言えるだろうか」
ふいに立ち止まった空海が、声を落とすようにしてつぶやいた。
デカルトは眉をひそめた。「水は、確かに形を変えながら流れている。しかし、我々の“自我”は、そうした流動的なものではなく……理性的な主体として、思考することで確かな輪郭を得るものだと、私は考えてきました」
空海は黙ってうなずく。だがその表情には、どこかやわらかな違和感がにじんでいた。
「では、問いましょう……」空海は再び口を開く。

小説 『心の座標』(4)第2章 歩み出す理性

1)沈黙のあとに芽吹く問い

 朝露が大地を潤し、草の匂いが空気に溶け込んでいた。

 デカルトは霧を抜け、空海と別れたその先の道を一人り踏みしめるように歩いていた。
 草原のなだらかな起伏を越え、まだ見ぬ地へと足を進めていた。

 かつての彼ならば、あらゆる景色に論理を与え、法則性を見出そうとしただろう。
 しかし今、彼の目に映る世界は、理性の対象ではなく共にある風景として現れていた。
 朝日が差し込む。光が葉に反射し、万物が呼吸しているようだった。

哲学創作劇「心の座標」第1章ーー出会いの静寂 デカルトと空海が静かに向き合う

哲学対話小説『こころの座標』(2)第1章 デカルトと空海が語る心と存在

世界は、どこから始まるのだろうか。 霧の中で自分の“在り処”を見失いそうになる瞬間、ふと「私はほんとうに“ここ”にいるのか」と問いが立ち上がる。 理性の力で世界を切り拓こうとしたデカルト。 沈黙の中に真理を観じ、生きることそのものを仏法とした空海。 対極にあるかに見えるふたりは、実は同じ問いを抱えていた。 ――「この“心”とは何か?」 そして、過去でも未来でもない、「今・ここ」にだけ開かれた霧の高原。 ふたりは時空の裂け目に導かれるように出逢い、対話を始める。

哲学創作劇「心の座標」デカルトと空海が静かに向き合う

【連載開始】哲学対話劇『こころの座標』(1)

全8章のショート小説(対話劇)「こころの座標」を勇気を奮って公開しようと思います。
稚拙な文体で、お立ち寄りいただいた方のお目を汚してしまうかも知れませんが…みな様の広〜〜い、ひろ〜〜ぃ、心でお許し下さいませ。
<梗概>
世界は、どこから始まるのだろうか。
霧の中で自分の“在り処”を見失いそうになる瞬間、ふと「私はほんとうに“ここ”にいるのか」と問いが立ち上がる。
理性の力で世界を切り拓こうとしたデカルト。
沈黙の中に真理を観じ、生きることそのものを仏法とした空海。
対極にあるかに見えるふたりは、実は同じ問いを抱えていた。
――「この“心”とは何か?」
そして、過去でも未来でもない、「今・ここ」にだけ開かれた霧の高原。
ふたりは時空の裂け目に導かれるように出逢い、対話を始める。