CATEGORY こころの座標ー外伝1

【長編連載小説】 『こころの座標 外伝:失われた時間の旅』 (2) 第1章 孤独の荒野—①

【長編連載小説】 『こころの座標 外伝:失われた時間の旅』 (2) 第1章 孤独の荒野—①

 山の石段を下りきったとき、空気の質が変わった。そこには、音を吸い込み、匂いさえも曖昧にするような霧が漂っていた。
月は背後の峰に隠れ星々も霧の膜に覆われて、光はほとんど地上に届かない。
 デカルトは|外套《がいとう》の襟を立て、歩を進めた。足元の土は湿り、時折、靴底に小石が擦れる乾いた音がする。それ以外の音はなかった。
 夜の森には、通常なら鳥や獣の気配があるはずだ。
だがここでは、それらの生命のざわめきがことごとく霧に呑み込まれている。

【長編連載小説】 『こころの座標 外伝:失われた時間の旅』 (1) 序章——別離の夜、門を前に

山の上に、風のない夜が降りていた。
星はうすく、月は刃のように細い。
黒い樹々の縁が空を切り取り、石段の上に薄い霜の気配を置いてゆく。
二人はその石段を登りきり、門の前に立った。
門は漆黒で、四隅を金具が固めている。円文と蓮が彫られ、古い呼吸を続けているように見えた。手を触れれば、冷たさの奥にかすかな温もりが宿っているのが分かる。
幾度となく開き、幾度となく閉じ、数え切れぬ問いがここをくぐったのだろう。
空海が小さく合掌し、瞑目する。